佐倉萌インタビュー『アンニュイでコケティッシュ ・佐倉萌のマルチな魅力』第2回

スキャン 1.jpg「愛くるしい瞳と、巨乳のミスマッチが男の下半身を奮い立たせる!」。エクセス作品『人妻不倫痴態 義母・未亡人・不倫妻』の2010年改題公開時にエクセスのサイトに掲載された佐倉萌の宣伝文である。佐倉萌は、その“アンニュイでコケティッシュ”な魅力で長年、ピンク映画ファンを文字通り奮い立たせてきたが、一方、映画デビュー作『雷魚』の瀬々敬久監督をはじめ、黒沢清監督、渡邊孝義監督、クロード・ガニオン監督など作家性の強い監督の作品にも出演し、映画界に異彩を放っている。今回は、そんな佐倉萌にじっくりと話を聞き、その魅力の一端を解き明かしたい。   

インタビュアー 工藤雅典


第2回『苦難のオーディション、そして念願の映画デビュー』

【1.オーディション】 

工藤:そんな中で、日活で撮った映画だけど『KOKKURI こっくりさん』(1997年5月24日公開、監督 瀬々敬久)のオーディションを受けるわけだね?当時、私は、まだ日活にいたんで、本社で日活のプロデューサーと瀬々監督が打ち合わせしているのを見かけたよ。瀬々監督も、まだピンク映画しか撮っていない頃だよね。

佐倉:これは、2回くらいオーディションがあって、確かクランクインの3日前とか、本当に差し迫ったところが最終オーディションで。結果、落ちたんですけど。

工藤:でも最終までは、残ったんだね。

佐倉:残りました。それで、当時は電話でしたけど、バイト先で最終選考に落ちたよって連絡を受けたときは、膝から崩れ落ちて泣きました。本当に悔しかったんですよね。   

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 『KOKKURI こっくりさん』、オーディションの直前頃

工藤:あの映画には、確か主要な登場人物が3人いたよね?

佐倉:ええ。私は、石川萌(女優 1976~)さんという方がやった役の候補だったんです。

工藤:ああ、石川萌さん。僕の日活時代のオリジナルビデオ(『女教師4』制作 1996年)にも出演してくれているよ。

佐倉:でも翌年に、同じ瀬々監督の『雷魚』(1997年5月31日公開)でデビューできましたから。

工藤:瀬々監督の頭の中には、佐倉さんが残っていたという事だね。『雷魚』の出演の話はどういう形で来たの?

佐倉:事務所からオーディションの連絡があって国映の事務所に行ったんですけど、私は、オーディションじゃなくて主役に決まったと思っていたんです。面接じゃなく、打ち合わせだと思って(笑)。

工藤:そうなの(笑)。

佐倉:オーディションでするような話は、『こっくりさん』の時に瀬々監督とはもうしていたので、「ロケはどこに行くんですか?」とか、「髪の毛どのくらい切りますか?」とか、そんな話をして帰ったのを覚えています。でも後から話を聞くと、私の後にもたくさんオーディションしましたと。

工藤:その時は、瀬々監督も決まっているように話していたの?

佐倉:いえ、後から考えると戸惑っていたかも。でも、後に引けないみたいな(笑)。

工藤:そう。それが良かったのかもね。じゃあ、あらかじめ本は読んでいたんだね。本を読んだ感じはどうだった?

佐倉:これは私だと思いましたね。

工藤:主人公と、自分が重なる部分があった?

佐倉:暗い翳がある女性像が「これは私だわ」と思って。あと、昭和の最後の頃のお話なんですけど、台本を読んでいて風景とか、人物の立ち姿とかのイメージがすごく湧いてきて、これが自分だと、自分に刷り込んでいましたね(笑)。

【2.『雷魚』の現場と反響】

工藤:『雷魚』は、最初一般映画として公開されて、その後ピンク映画の劇場で上映されたんだね。

佐倉:R-15ですから。

工藤:ピンク映画の劇場でも、同じR-15版だったのかな?

佐倉:そうですね。

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 『雷魚』公開当時のチラシ ©️新東宝映画株式会社

工藤:当時はそういう映画が多かったのかな?

佐倉:いえ。この映画は結構予算があったんですよ。通常のピンク映画の倍くらいと聞いてました。

工藤:確かにロケーションとか印象的なシーンが沢山あったね。

佐倉:そうですね。公衆電話で電話しているシーンがあったんですが、アフレコで、監督が納得してくれなくて、別日に録音しなおしたりとか、ラブホテルの一連は灯りが暗すぎるというので、全部撮り直したりとか、けっこう大変でしたね。

工藤:撮影は何日ですか?

佐倉:たぶん5日間くらいだったんじゃないですかかね?

工藤:5日間プラス、1日追加撮影だったんだね。

佐倉:そうですね。この時、初めてシネキャビン(録音スタジオ)でアフレコを経験したんですが、やっぱり中村さん(中村幸雄 録音技師 1942~)の印象がすごく強くて。それ以降シネキャビンが無くなるまで、すごく良くしていただいたというか、気にかけていただいたというか。

工藤:中村さんは、ピンク映画にかかわる者、ほとんど全てにとって恩人というか、お世話になってるよね。中村さんに助けられたり、勇気づけられたスタッフや俳優が沢山いると思う。

佐倉:本当ですよね。去年、横浜のシネマリン(映画館)で『雷魚』が久々にかかったときに、当時助監督だった藤川さんと舞台挨拶をしたんですけど、藤川さんに聞くと当時の瀬々さんが、私にものすごく厳しかったらしいんですよ。私は、その後の仕事で、厳し過ぎて心が折れるという監督に会った事がないので、あれが頂点だったんだと思って。現場でどんな厳しい事を言われようと、どんな要求をされようと、今は全然へこたれない事の原点は『雷魚』だったんだなあと思います。

工藤:なるほど。瀬々監督も、よっぽど作品に入れ込んでいたんだろうね。他の女優さんにも厳しいのかな?

佐倉:さあ、どうでしょう。でも、その後、他の作品の打ち上げとかで、一緒になると、皮肉たっぷりのツッコミをされたりしますので、まあ可愛がってもらったのかと。「かわいがり」ですね(笑)。先日、ケイズシネマの「ピンク四天王」の特集上映の初日におじゃまして久しぶりに瀬々監督にお会いできたんですけど、大作を撮るようになって、ファッションセンスが良くなってました(笑)。

工藤:昔はボロボロだったの?(笑)。それにしても、瀬々監督は、今は凄い活躍だね。他に「雷魚」にまつわるエピソードはある?

佐倉:何しろデビュー作だったので、前貼りも初めてで。出演していた河名麻衣さんという女優さんにお風呂場で教えてもらいました。河名さんは「これは伊藤清美(女優)さんから教わった貼り方だから」って。ああ、こうやって伝道していくものなんだなあって。現場にメイクさんがつかないですからね。現場で前貼りセット(前貼りの材料)を渡されても、分からない子は「なにこれ?」っていう状態ですから

工藤:それはそうだよね。

佐倉:それ以降、私も現場に入って分からない子がいると教えてあげています。

工藤:『雷魚』は、ずいぶん評判の良い映画だったと思うけど周りの反響は?

佐倉:これで、実家の勘当が解けました。

工藤:解けた!それは良かった。ご両親が見てくれたんだね。

佐倉:見ました。見ましたし、その頃、たまたま母親が上京してきまして、ポスターが貼ってある、ユーロスペースのロビーまで連れて行って、「見て」みたいな感じで(笑)。

工藤:そうなんだ。

佐倉:映画館では中々見れないんですけど、後々、衛星放送とかで見た知り合いの方から電話がかかってきたみたいで、「娘さん良かったよ」というような感想を頂いたようです。そうなったら、「もうこっちのものだ」みたいな。

工藤:なるほどねえ。ご両親に認めてもらえたのは嬉しいよね。

【3.『雷魚』の直後の活動】

工藤:『雷魚』の後は、どんな仕事をしたの。

佐倉:『雷魚』のすぐ後は、斎藤久志監督の『フレンチドレッシング』(1998年公開)です。阿部寛(俳優 1964~)さんの奥さん役だったんですけど、奥さんが失踪している設定だったので、1日リハーサルをやって翌日撮影みたいに、じっくり時間を追って撮影していただいたんですけど、1カットも使われずに…。

工藤:えっ!そうなんだ。もったいないねえ。

佐倉:でも、『フレンチドレッシング』の打ち上げの会場で、黒沢清監督の『蜘蛛の瞳』(1998年公開)のお話をいただいて。

工藤:出演シーンをカットされたのは残念だったけど、『フレンチドレッシング』が『蜘蛛の瞳』のきっかけになったんだね。

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 『雷魚』公開後のポートレイト

佐倉:現場の黒沢監督がものすごくもの静かな方で、自分の演技が良いのかどうか分からないという不安を抱えながら…。でもキャストの数がものすごく多いので、とにかく食らいついていこうという感じでした。公園の砂場で哀川翔(俳優 1961~)さんと一緒のシーンがあったんですけど、哀川さんが「俺の胸を貸してやる」みたいな、「どんと来い」みたいな感じで、おっしゃっていただいたんで心強かったです。

工藤:なるほどね。黒沢さんは瀬々さんとは全然違ったわけだ。

佐倉:全然違いましたね。黒沢監督がカッコ良かったんですよ。監督が現場で一番カッコいいみたいな。

工藤:瀬々さんがカッコ悪いみたいな言い方だね(笑)。

佐倉:瀬々監督は“熱い”という感じで。黒沢監督とは体温が3度くらい違う感じですね(笑)。

工藤:黒沢さんはクールなんだ。

佐倉:クールですね。

工藤:国映の現場で監督は、助監督の人たちも年齢が近いし、仲間どうしで和気藹々とやってる感じなのかな?

佐倉:そうですね、色々な仲間の人が、入れ替わり立ち代わり現場にやってくるような感じですね。

工藤:黒沢さんは監督然としていたわけだね。

佐倉:そうですね。カメラマンも田村正毅(撮影監督 1939~2018)さんだったんでドッシリと。

工藤:『雷魚』のカメラマンは?

佐倉:『雷魚』のカメラマンは斎藤幸一(撮影監督)さん。斎藤さんは、女性を撮るのが好きだし、上手なんです。もう、舐めまわすように「撮られてる」という感じがあって。

工藤:今も瀬々さんとずっと組んでる人だね。

佐倉:その後に『富江』(1999年3月6日公開)のオーディションを受けて落ちたんですが、主役じゃないんですけど、洞口依子(女優 1965~)さんのやったお医者さんの役だったかな?別な役でオーディションを受けていて、私はこっちの役の方が良いと言った事を覚えてますね。

工藤:そういう自己主張は大切だね。


次回、第3回『ピンク映画での活躍開始とエクセス初出演!!』では、吉行組などでのピンク映画出演、そしてエクセス初出演の『人妻発情期 不倫まみれ』(監督 工藤雅典)の撮影秘話が語られます。乞うご期待!!

※掲載した写真は、すべて佐倉萌さんの私物を提供していただきました。